― 源平合戦の地に佇む、
祈りと安らぎの地 ―
かつて「源平合戦 一の谷の戦い」
(寿永三年・1184年)の
激戦地として知られるこの地に、
潮音寺は静かに佇んでおります。

縁起

この一帯は、急峻な崖と入り組んだ谷が交錯する難所であり、源氏と平家の陣地を隔てていた赤旗谷川と一の谷川が交わる要衝でありました。戦の最終局面が繰り広げられ、多くの兵が命を落としたこの地に、現代の人々が祈りと安らぎを求めて集う場として潮音寺は建立されました。
観音の慈悲、平和を祈る
ご本尊としてお祀りするのは「十一面観世音菩薩」。あらゆる衆生を等しくお救いくださる、深き慈悲の象徴でございます。
十一面観音さまは、正面の慈悲面のほか、忿怒面や笑面など、十の相をもって人々のさまざまな苦しみや願いにお応えくださると伝えられております。潮音寺が11面観音さまをご本尊としてお迎えしたのは、まさにこの地にて無念のうちに命を落とされた兵士たちの御霊を、ひとり残さず慈しみ包む尊き存在としてお迎えせんとの願いからでございました。
戦いの跡に、平和の象徴として十一面観世音菩薩を安置する。そこには、悲劇の地にあって深い慈悲の御仏の導きと祈りの力で、未来へ昇華せんとする深い想いが込められております。

大商・藤田伝三郎と不動明王 磨崖仏のご縁
境内に安置される護摩堂には、潮音寺のもうひとつの精神的支柱とも申すべき、不動明王の磨崖仏(まがいぶつ)がございます。
この石仏は、大正初期、明治から昭和にかけて政財界に名を馳せた実業家・藤田伝三郎男爵によって、奈良の地より神戸へと遷座されたものと伝わっております。信仰篤く、仏教文化の護持と供養の意義を深く理解された伝三郎公の御心が、この遷座に込められておりました。
しかし、昭和十三年七月、神戸を襲った大水害により、不動尊は上流からの土砂により埋没してしまいます。一時はその尊影すら見えなくなりましたが、神戸元町の老舗家具店「永田良介商店」および地域の篤信者の尽力により、奇跡的に再びそのお姿が現れました。この出来事は、仏教研究者・村上武一氏による著書『野仏シリーズ』にも「不動流転」として記録されております。
現代に甦ったこの不動明王は、いかなる困難にも屈せぬ不動尊の御力と、人々の信仰と絆の物語を今に伝えております。
現代に生きる祈りのお寺として

潮音寺には、事業の繁栄や商売繁盛を願う経営者の方々をはじめ、受験合格・良縁成就・病気平癒・厄除開運など、さまざまな願いを胸に多くの方々が参拝されております。
また、五穀豊穣や大漁祈願など、自然と共に歩む人々の祈りも深く根づいております。
潮音寺は、単なる歴史の証ではなく、時代を越えて「いのち」や「願い」をつなぐ、生きた祈りのお寺です。
激動の時代に命を懸けた者たちの御霊を弔い、未来へ向けて祈りを捧げる――
潮音寺は、今もなお静かに、皆さまのお参りをお待ちしております。